学術手話通訳よもやま話1 Talk

日本手話か日本語対応手話か

高等教育における手話通訳について,どのようなタイプの手話を用いるのが適切かという議論があります。「聴覚障害学生のニーズに合わせて使い分けることが必要」というのが建前になっていますが,実際,日本の多くの手話通訳者が用いている手話は音声日本語の要素が強い中間型手話です(原・黒坂,2011)。Mayberry(2006)は,L2(第2言語)の後期手話学習者は統語や形態論を必ずしも教わるわけではなく,L1(第1言語)の音声言語の語順で手話単語を表現するように指導を受けることもあると述べています。日本で行われている手話学習指導においてもこれに似た状況にあり,成人後L2として手話を学習し,手話通訳現場に派遣されている場合,日本手話の要素を多く含む訳出表現を行える者は少ないのが現実です。このような背景もあり,「高等教育を受ける聴覚障害学生ならば日本語の力が高い」,「専門用語が多出するので,日本語対応手話のほうがよい」といったレトリックで,音声日本語の要素が強い手話を使用することが正当化されている現状があります。

しかし,音声英語の発話に沿って手話単語を並べる手指英語を使用する聴覚障害学生であっても,手指英語よりアメリカ手話の通訳のほうが内容に対する理解度が高かったという研究報告があります(Murphy and Fleischer,1977)。また,吉川他(2011),石野他(2011)の報告によると,大学院生は学部生に比較して,手話言語特有の文法であるCL(classifier),RS(Referential shift),NM(non-manual)表現を用いた通訳に対する評価が高くなっていました。その理由として,手話言語特有の文法表現により,内容の論理構造を把握しやすいことが考えられます。手話言語には,複数形態素が同時的に結合して語を形成したり,手指や顔・上体等の非手指が独立してそれぞれ異なった意味を表したりする重層性があります。日本手話の構造には,このような視覚−空間言語としてのわかりやすさが内在されているのではないかと考えられます。それゆえ,限定的条件や複数の因果関係を語る内容など,複雑な統語構造を必要とする通訳になるほど,日本手話の要素が不可欠になると考えられます。

もちろん,聴覚障害ユーザーから,日本語対応手話の手話通訳を求められればそのニーズに答えることは大切です。ただ,大学入学時は日本語の要素が強い手話を用いている聴覚障害学生も,学年が上がるにつれて手話表現が変化してくることがあります。ステレオタイプに決めつけることなく,ユーザーの成長や変化,そしてカリキュラム内容や授業形態等に応じて柔軟な対応が求められます。

(中野 聡子)

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